【出産レポNo.7】予定日3日前から入院し、マイペースなわが子を出産!

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私が初めて出産したのは25歳の時です。臨月に入った頃から毎日、『もしかしたら今日陣痛がくるかもしれない』とドキドキする日を過ごしていました。何度も読んだ妊婦向けの雑誌をまた最初のページから読み始めてみたり、検診のときにもらった出産の注意事項をみてみたり、準備した入院セットを確認してみたりと、なんとも落ち着かない気持ちでした。そして赤ちゃんに会えることがとても楽しみで、とても幸せな毎日でした。

その頃には毎週検診がありますよね。検診に行くたびに、子宮が開いてきてますねーと先生に言ってもらいたかったのを覚えています。検診の最中に、前の順番の妊婦さんがそのまま看護師さんと病棟に行く姿を見て、私も今日このまま出産かなぁと想像したりしていました。が、私はいつまでたっても陣痛も破水もなんにも予兆がなく、その結果、そろそろ予定日だけど年末年始で病院の人手も少なくなるからという理由で、出産予定日3日前から入院し、計画的な出産をすることになりました。(子供も大きかったのかな?)

入院初日から誘発剤をつかって陣痛をおこすことになりました。少量から始めたのか、モニターのグラフは定期的に波打っていましたが全然痛くはありませんでした。えっ?陣痛ってこんなもの?と、想像より遥かに楽だったので助産師さんに訪ねると、陣痛の痛みに強い人がいるとのこと。私はその陣痛に強い人だったのかもしれないと、出産の痛みの不安はなくなり、余裕がでてしまいました。

その日の夜になってもグラフは定期的に波打ち、間隔も狭くなってきたため病室から陣痛室にうつることになりました。私はまったく痛みがなく、スタスタといつも通りに歩いて陣痛室に行くことができました。このまま出産なんて楽勝だなぁと想っていました。しかし、日付が変わった次の日の朝になっても、状況は何も変わらず、他の妊婦さんが来て病室に戻ることになりました。

ご飯を食べて、お昼寝をして、体力温存完了したところでまた誘発剤の投与が始まりました。すると今度は痛いのです。まだ我慢できないほどではないのですが、大便を我慢してるときのような痛みです。楽勝だと余裕をかましていた自分が恥ずかしいと思いはじめました。この痛みは夜まで誘発剤の投与と一緒に続きました。陣痛室で助産師さんも今日産まれるかなぁと言ってくれて、いよいよかと気持ちを作り、よしっがんばるぞー!と意気込みましたが、誘発剤をやめたとたん陣痛もすーっとなくなってしまいました。

もうこの時には夫も母も付き添ってくれていたので、申し訳ない気持ちでいっぱいです(笑)。また次の日の入院3日目。出産予定日です。また誘発剤の投与が始まりました。もう陣痛の痛みを知り始めていたため、またあの痛みかと気持ちが弱くなっていました。するとさすがにその日は、痛いってもんじゃありませんでした。めっちゃくちゃ痛い!それが11時間続きました。

何度も助産師が見に来てくれるのですが、子宮口は全然開かなくて、痛みと体がマッチしていない感じです。もう痛みに我慢できずに先生が来たときに帝王切開に変更を希望的しましたが、笑ってごまかされました。感覚が狭くなったら、ナースコールを押すように言われていたのに、もう産みたいからと何度も呼びました。隣にいた妊婦さんが陣痛に叫んでいたのを聞いて、絶対におとなしくしようと想っていましたが、その妊婦さん以上に叫びまくりました。

夫と母がずっと腰をさすってくれていましたが、もう感謝するどころじゃありませんでした。そんなこんなでみかねた先生が分娩室に移動するように言ってくれて、助かったと喜んだのもつかの間です。この時間の担当だった助産師は新人だったようで、先生の指導が始まったのです。髪の毛を~なんとやら、右回転やら。助産師に手解きしながら出産を進めてくれたおかげで、先生があと10分くらいで産まれるよぉと言ってから45分かかりました。もう痛みの感覚もなくなって、モニターを見ながら数値があがったのを確認しないと踏ん張りどころがわかりませんでした。

やっとのことで産まれた赤ちゃんは、すっごく可愛くて、愛しくて。3日間の陣痛なんてちっぽけなものと感じました。恥ずかしい失言も行動もすべて忘れました。本当に幸せな気持ちで、すべてがキラキラして見えました。
このとき産まれた長女は5歳になりました。やっぱりマイペースで、常にお尻をポンと叩いている状況です。もうお腹にいる時から性格は決まっているのかも知れませんね。